2015年05月27日

信長ファンは読まないで下さい

桶狭間で
織田信長に敗れた

今川義元

織田信長を主人公にしたドラマでは

キレモノとはほど遠い
どちらかというと悪役のイメージで描かれています。


織田軍の何倍の兵力を持ち
それでも織田軍に敗れた今川義元は

自軍の兵力に驕ったダメな武将だと思っていました。


ところがたまたま読んだ軍記物

武田、北条、上杉との争い

その時に、いかにして大勢力を築き上げたか

それを読み真実?を知ると
私の中で、今川義元の見方が、大きく180度変わりました。


今川義元

今川家の5男に生まれ
普通ならば、家督を継ぐことは、ないはずです。

ところが、幼い頃から
まるで家督を継ぐのは自分であるかのごとく

勉学に励み、武芸に通じ、戦いの戦略を・・・

親族一同、配下の者も含め
誰もが認めるような大将の・・・実に大きな存在になっていました。


そこに数々の説はあれど
今川家の長男、次男が、同日に死亡したのです。

誰かの策略で???

3男、4男は、側室の子
義元は正室の子ですので

跡継ぎレースは、当然のごとく俄然義元が有利に・・・

しかしそうはさせじと
3男中心に、義元を討とうと兵をあげましたが

予めそれを読み
充分に備えをしていた義元の圧勝となり、跡継ぎは義元に決まったのです。


大名となった今川義元

先ずは
長年の宿敵だった武田と縁組を結び

対上杉に対し協力関係を築きましたが

それを不服と北条に攻め込まれ、領土の4分の1をもぎ取られました。


ところが戦力を整え
その北条と再戦、もぎ取られた領土を取り返し

長年宿敵関係にあった北条と武田に、同盟関係を結ばせました。

ここに、今川を中心とした今川・武田・北条、奇跡の大連合軍が成立したのです。


これで、今川が
西に勢力を伸ばす戦いに出ても

その間に攻め込まれる心配がなくなりましたので

敵は織田信長
一気に攻め落とし、天下を・・・

という算段になってたはずですが

そこに「たまたま」の雨、そこにたまたま織田信長と出くわし・・・


軍記を読む限りは
ドラマのように、織田信長が策を弄して・・・ではなく、全て「たまたま」だったみたいです。



信長ファンの皆さん
夢を壊すような・・・ごめんなさい(笑)






Posted by まじみっちゃん at 09:00