2014年08月15日
母親との少し不愉快な思い出
私が幼い頃
母親と一緒に街を歩いていると
よく見かけたのが、「モノ貰いの人」
片手がない、片足がない
みすぼらしい格好をして
悲しそうな顔して、「お恵み下さい」
私が、その人たちに近づくと
決まって母親は
私をその人たちから、引き離そうとしました。
母親の態度は、明らかに差別
あの人たちは、奇異な目で見られお金も貰えず・・・
あの人たちは、本物の傷病兵だったのでしょうか?
もしそうならば
母親の態度は、今更ながら、許せないというか
その思いからでは、ないのですが
傷痍軍人の皆さんの、大変なご苦労を
大学入学後、友人と東京へ行き、真剣に学んでみました。
昭和27年、私が生まれた次の年ですね
遅ればせながら、日本傷痍軍人会が結成されました。
東京、九段下に会館があるそうですが
残念ながら、いや恥ずかしながら、まだ行っていません。
その当時、35万人だったのに
今では、5千人にまで減り、平均年齢92歳になり
遂にその役目を終え、誇り高き解散の運びと、なったようです。
戦後、治療費すら自腹で支払い
傷を負った身体で
必死で生き続けてこられた皆さんに
日本国が豊かになった時でも、何も報いなかったこと
その事実を、果たしてどれだけの日本人が知っているのでしょうか?
母親と一緒に街を歩いていると
よく見かけたのが、「モノ貰いの人」
片手がない、片足がない
みすぼらしい格好をして
悲しそうな顔して、「お恵み下さい」
私が、その人たちに近づくと
決まって母親は
私をその人たちから、引き離そうとしました。
母親の態度は、明らかに差別
あの人たちは、奇異な目で見られお金も貰えず・・・
あの人たちは、本物の傷病兵だったのでしょうか?
もしそうならば
母親の態度は、今更ながら、許せないというか
その思いからでは、ないのですが
傷痍軍人の皆さんの、大変なご苦労を
大学入学後、友人と東京へ行き、真剣に学んでみました。
昭和27年、私が生まれた次の年ですね
遅ればせながら、日本傷痍軍人会が結成されました。
東京、九段下に会館があるそうですが
残念ながら、いや恥ずかしながら、まだ行っていません。
その当時、35万人だったのに
今では、5千人にまで減り、平均年齢92歳になり
遂にその役目を終え、誇り高き解散の運びと、なったようです。
戦後、治療費すら自腹で支払い
傷を負った身体で
必死で生き続けてこられた皆さんに
日本国が豊かになった時でも、何も報いなかったこと
その事実を、果たしてどれだけの日本人が知っているのでしょうか?
Posted by まじみっちゃん at 12:00