2022年02月03日
50年以上も前の思い出です
私の故郷は
異国情緒たっぷりの長崎県
高校まで長崎県で
大学生活は大阪府でしたが
勉強大好きでしたので
4年プラス1年(留年)
マジ5年も通学しましたね。(笑)
1浪1留年
ストレートに
入学し卒業した同級生より
2年も遅れて
23歳で社会生活に入りました。
年に1回か2回
長崎県に
帰省していましたが
その時に
必ず訪れていたのは
先ずは中華料理の平和楼でした。
平和楼の焼き餃子
それが食べたくて
帰省していたのかも知れません。
それぐらい当時は大好きでした。
皮がめちゃくちゃ厚く
肉汁がジューッと出てくる
幼い頃からよく食べていた
そんな焼き餃子が大好きでした。
そして再び大阪に戻るまでに
必ず訪れていたのが
爆心地公園
長崎市の原爆落下中心地ですね。
私の亡母の妹が
その爆心地近郊で
労働していた様で
その原爆で即死しましたが
私の祖母が毎日
血眼になって探したみたいです。
しかし当然の事ながら
遺体は
マジ見つからなかったそうです。
爆心地公園で
空を見上げ
原爆が爆発した
上空500メートルあたりを
眺めると
今私の回りに起きている事は
些細な事だと思え
平和に対する希求心が
超強烈に強くなっていましたね。
次回に続きます。
異国情緒たっぷりの長崎県
高校まで長崎県で
大学生活は大阪府でしたが
勉強大好きでしたので
4年プラス1年(留年)
マジ5年も通学しましたね。(笑)
1浪1留年
ストレートに
入学し卒業した同級生より
2年も遅れて
23歳で社会生活に入りました。
年に1回か2回
長崎県に
帰省していましたが
その時に
必ず訪れていたのは
先ずは中華料理の平和楼でした。
平和楼の焼き餃子
それが食べたくて
帰省していたのかも知れません。
それぐらい当時は大好きでした。
皮がめちゃくちゃ厚く
肉汁がジューッと出てくる
幼い頃からよく食べていた
そんな焼き餃子が大好きでした。
そして再び大阪に戻るまでに
必ず訪れていたのが
爆心地公園
長崎市の原爆落下中心地ですね。
私の亡母の妹が
その爆心地近郊で
労働していた様で
その原爆で即死しましたが
私の祖母が毎日
血眼になって探したみたいです。
しかし当然の事ながら
遺体は
マジ見つからなかったそうです。
爆心地公園で
空を見上げ
原爆が爆発した
上空500メートルあたりを
眺めると
今私の回りに起きている事は
些細な事だと思え
平和に対する希求心が
超強烈に強くなっていましたね。
次回に続きます。
Posted by まじみっちゃん at 06:12