2022年09月10日
偉大なり徳川家康と後藤新平
私の父が産まれた年
1923年
大正12年9月1日
11時58分に
マグニチュード7、9の
関東大震災が起きましたが
その揺れは
軽く10分以上続いたそうです。
あまりの長さに
その揺れは永遠に
収まらないのではないかと
感じた人が
多数だったみたいですが
揺れの途中で発狂する人が
かなりの数おられたみたいです。
10分以上の揺れ
それはそれは
本当にマジ長かったでしょうね。
死者は約10万5千人
9割近くが焼死だったそうです。
その関東大震災から
もう間もなく百年になりますね。
再びの東北も
南海トラフも怖いですが
首都直下型地震は近いですよね。
大正天皇は全くの無力
その代わり
当時の後藤新平東京市長が
粉骨砕身
新しい東京の画を描き
幅22メートルの
幹線道路を52本整備し
災害に強い街作りを
目指しましたが
根強い反対にあい
志半ばにマジ終わっていました。
そして22年後の
1945年
昭和20年3月10日
東京大空襲
死者は10万人超でしたが
後藤新平が唱えた街作りを
そのまま実現していれば
死者数は
5分の1で済んだだろうと
昭和天皇
何度も何度も発言されましたね。
東京大空襲
出火場所は134ヵ所
一番肝心な警視庁も焼失し
東京駅には10万人
皇居前広場には30万人が
避難していたそうですが
1869年から
京都から移り
天皇のお住まいは東京でしたね。
ですから
天皇は早く京都に戻ってきてと
京都人は声をあげていた様です。
現在の東京都を
作り上げたのは
間違いなく
徳川家康と後藤新平のお二人
たぶん近いであろう
首都直下型地震の際
都民の人気に支えられている
小池百合子東京都知事は
復興の画を描けるのでしょうか?
徳川家康と後藤新平という
偉大なお二人の後を
小池はマジ継げるのでしょうか?
コロナ対応他
常に国のせいにして
難を逃れている
小池百合子都知事が
未曾有の大地震の際
リーダーで
マジマジ大丈夫なのでしょうか?
1923年
大正12年9月1日
11時58分に
マグニチュード7、9の
関東大震災が起きましたが
その揺れは
軽く10分以上続いたそうです。
あまりの長さに
その揺れは永遠に
収まらないのではないかと
感じた人が
多数だったみたいですが
揺れの途中で発狂する人が
かなりの数おられたみたいです。
10分以上の揺れ
それはそれは
本当にマジ長かったでしょうね。
死者は約10万5千人
9割近くが焼死だったそうです。
その関東大震災から
もう間もなく百年になりますね。
再びの東北も
南海トラフも怖いですが
首都直下型地震は近いですよね。
大正天皇は全くの無力
その代わり
当時の後藤新平東京市長が
粉骨砕身
新しい東京の画を描き
幅22メートルの
幹線道路を52本整備し
災害に強い街作りを
目指しましたが
根強い反対にあい
志半ばにマジ終わっていました。
そして22年後の
1945年
昭和20年3月10日
東京大空襲
死者は10万人超でしたが
後藤新平が唱えた街作りを
そのまま実現していれば
死者数は
5分の1で済んだだろうと
昭和天皇
何度も何度も発言されましたね。
東京大空襲
出火場所は134ヵ所
一番肝心な警視庁も焼失し
東京駅には10万人
皇居前広場には30万人が
避難していたそうですが
1869年から
京都から移り
天皇のお住まいは東京でしたね。
ですから
天皇は早く京都に戻ってきてと
京都人は声をあげていた様です。
現在の東京都を
作り上げたのは
間違いなく
徳川家康と後藤新平のお二人
たぶん近いであろう
首都直下型地震の際
都民の人気に支えられている
小池百合子東京都知事は
復興の画を描けるのでしょうか?
徳川家康と後藤新平という
偉大なお二人の後を
小池はマジ継げるのでしょうか?
コロナ対応他
常に国のせいにして
難を逃れている
小池百合子都知事が
未曾有の大地震の際
リーダーで
マジマジ大丈夫なのでしょうか?
Posted by まじみっちゃん at 18:50