2023年04月30日
美智子さまは日本国民の宝!
昭和50年(1975年)
7月17日
私は新聞記者になりたてで
おまけに
私の誕生日ですから
よく覚えていますが
その日に
当時の皇太子・同妃殿下は
戦後初めて沖縄県の地を踏まれました。
このことが公表されると
左翼過激派他が
皇太子訪沖反対闘争を繰り広げました。
皇居乱入の事態になりましたので
私は沖縄訪問は
取りやめになるのではないかと
思っていましたが
皇太子の意志は固く
躊躇うことなく沖縄に向かわれました。
そして最初に訪れた
南部戦線跡の「ひまわりの塔」で
隠れていた過激派が
火炎瓶と爆竹を同時に投げつけました。
火炎瓶は
2メートルほど離れた
献花台に直撃し激しく炎上しましたが
皇太子と皇太子妃は
毅然とした態度で
周りの方を気遣っておられましたよね。
また犠牲になったのは
ひめゆりの塔の女性だけではないと
批判されましたが
その時の皇太子と皇太子妃の
敬虔な態度に
頑なだった沖縄県民は
3日間の日程を終え
お二人が
那覇空港から帰路につかれる時
涙を流しながら
日本国旗をずっと振り続けていました。
昭和天皇も沖縄県を訪れ
慰霊を行うことを
熱望されていましたが
火炎瓶事件があったため
不本意ながら毎年見送られていました。
しかしながら昭和62年10月店に
ついに実現する運びになりましたが
その前月の9月に
昭和天皇は病に倒れ
残念ながら訪沖は実現しませんでした。
今年の10月20日
美智子様めでたく88歳になられます。
いつまでもお元気にお過ごしください。
それがきっと国民の願いなのですから。
7月17日
私は新聞記者になりたてで
おまけに
私の誕生日ですから
よく覚えていますが
その日に
当時の皇太子・同妃殿下は
戦後初めて沖縄県の地を踏まれました。
このことが公表されると
左翼過激派他が
皇太子訪沖反対闘争を繰り広げました。
皇居乱入の事態になりましたので
私は沖縄訪問は
取りやめになるのではないかと
思っていましたが
皇太子の意志は固く
躊躇うことなく沖縄に向かわれました。
そして最初に訪れた
南部戦線跡の「ひまわりの塔」で
隠れていた過激派が
火炎瓶と爆竹を同時に投げつけました。
火炎瓶は
2メートルほど離れた
献花台に直撃し激しく炎上しましたが
皇太子と皇太子妃は
毅然とした態度で
周りの方を気遣っておられましたよね。
また犠牲になったのは
ひめゆりの塔の女性だけではないと
批判されましたが
その時の皇太子と皇太子妃の
敬虔な態度に
頑なだった沖縄県民は
3日間の日程を終え
お二人が
那覇空港から帰路につかれる時
涙を流しながら
日本国旗をずっと振り続けていました。
昭和天皇も沖縄県を訪れ
慰霊を行うことを
熱望されていましたが
火炎瓶事件があったため
不本意ながら毎年見送られていました。
しかしながら昭和62年10月店に
ついに実現する運びになりましたが
その前月の9月に
昭和天皇は病に倒れ
残念ながら訪沖は実現しませんでした。
今年の10月20日
美智子様めでたく88歳になられます。
いつまでもお元気にお過ごしください。
それがきっと国民の願いなのですから。
Posted by まじみっちゃん at 20:20