2023年09月15日

紫式部の時代は長崎市はなし

紫式部が
源氏物語の執筆活動していた頃

権力をふるっていたのは藤原氏です。

その中でも藤原道長ですが

暇さえあれば

遊女と豪遊していた超スケベ男です。

藤原氏は

天皇の親戚である事を利用して

天皇が幼いあいだは「摂政」

成人してからは「関白」となり

天皇に代わって

政治の実権をマジにぎっていました。

この政治のやり方を

「摂関政治」とよびますが

学校時代よく試験問題に出ましたね。

その藤原道長にも
才女ぶりが認められていた

紫式部は

意地悪な女性に
有能なゆえにイジメられていた

伊勢大輔を励まし
元気付けたりしていましたが

伊勢大輔

読み方は女性ですが「いせたゆう」

今ならダイスケで男性の名ですよね。

紫式部の時代

私の生まれ故郷・九州は
どのような呼び名かというと

少し微妙なズレはありますが

「筑前、筑後」は福岡県

「肥前」は佐賀県

「肥後」は熊本県

「豊後」は大分県

「日向」は宮崎県

「薩摩、大隅」は鹿児島県

長崎市は

港を開いた

約450年前からですので

紫式部の時代には

まだ未開のエリアだったのですね。

長崎市は

山ばっかりのエリアでしたからね。

エリア名でいうと

肥前の一部ですので

佐賀県民にしたら

長崎県は

佐賀県のオマケみたいな田舎

ですから

大きな顔するな!となるのですね。

その新参エリアの長崎市が

港を開いて以降

歴史上

大きな意義を持つようになり

一気に人口が増えていきましたね。

それに対し佐賀県の現在の人口

ヤバすぎ下から6番目ですからね。

長崎県は佐賀県の一部

いまだにそう思っている人

結構いるのですから怖いですよね。

西九州新幹線で

静岡県同様に

自分の県にメリットがないと

妨害し続ける佐賀県

私は大好きな県ですが

この現実には寂しさを覚えますね。



Posted by まじみっちゃん at 18:50