2013年10月14日

どうしても本音書きたくて

宗教に関することは、書いてはいけない
ありがたいアドバイスを、信頼してる人から、いただいてたのですが

数日前に、久しぶりに会った知人の
あまりの変わりように、ハマることの怖さを、思い知らされましたので

あえて、ここに、私の宗教感を・・・


人間は、宗教に頼らないと、生きていけないものなのでしょうか?

幼い時に、道徳心を養うために
幼稚園、小学校、中学校で、人としてなすべきことを、丁寧に教えれば

それで充分だと、私は思うのですが・・・

国民の90%が、キリスト教信者で
朝昼夜、熱心に教会で、牧師さんの説教を、聞いてるフィリピン人ですが

現実は、犯罪大国

有名なバクララン教会で、お祈りして
帰宅してる途中に、引ったくり行為を繰り返す

フィリピンにおいては、お祈りのあとの犯罪は、日常茶飯事のことです。

人から、いろいろな教えを請おうが
所詮、人は、自分の弱さとの戦いですから

神は、自分の心の中にあると信じ、自身の悪と必死に戦うしかないのです。

善悪の判断がつく、正常な人間ならば
人として、やっていいこと、悪いことの判断ぐらいは、誰でもつくはずです。

ですから一番大切なことは、自分の心の中にある善の心を、信じることです。


宗教が、生きていく上で、必要だとすれば

それは、犯罪をおかし、死刑判決をうけた人
永遠に刑務所から出れず、自由の身になれないような人

また不治の病にかかり、明日をも知れぬ身体になってしまった方

そういう方々に対してのみ・・・私は、そう思いますが・・・

普通に生活してる人が、宗教心に目覚めると
私の経験からすると、何か異常なものを感じるというか、肩に力が入り

人に対し、強制がはじまり
モノゴト、正しいのは、これだけという、排他的発想が蔓延し・・・

人生行き詰まったら
倫理観を磨くために

書店で、自分を救ってくれそうな本を、自分自身で探し、読んだらいいのです。

自分の弱点を書き出して
自分の心の中の神を信じ、自分の弱さと対峙する決意を、したらいいのです。

それが克服できたら
人に対しても、きっと今以上に、優しくなれるはずです。

家康が語り、諺となってる「怒りは敵と思え!」
私の弱点は、間違いなく、これだと思ってますので、座右の銘としていますが

甘えが出た時に、相手しだいで・・・

これを克服することが、私の修行生活なのですが
いいトシをして・・・(大汗)

「怒りは明日言え」
先ずは最低限、段階をふんで、これだけは修行したいと、心から思っています。



Posted by まじみっちゃん at 19:01