2024年08月17日

紫式部と清少納言比較すると

藤原道長の兄

藤原道隆の娘の

定子(ていし)に
女官(女房)として仕えたのが

清少納言


道長の娘の

彰子(しょうし)に

同じく

女官(女房)として仕えたのが

紫式部


二人とも

文芸担当女房という立場で

スカウトされ

日々執筆活動もしていたようです。

清少納言と紫式部

二人とも仕えたのは

時の中宮(ちゅうぐう)

ということは

天皇の妃(きさき)

今でいうと雅子さまの立場ですね。


当時の有力な女性たちは

その周囲に

いかに素敵な女房たちを

侍らかすかに心を配っていました。

身分の高い女房

センス良い女房

スタイル良し美人の女房

清少納言みたいに
お顔はあぅ~でも

和歌の能力に長けた女房

様々な特質持った女房が

集められ

有力な女性たちの立場を

装飾していた時代だったのですね。


清少納言は

今でいうノンキャリの

公務員家系に産まれ

普通に結婚しましたが

1児をもうけた後直に離婚します。

その離婚後

シングルマザーとして

働き始めたのが女房としての仕事

ミーハー心たっぷりの清少納言

皆にとても可愛がられたようです。

ところが

自分より
身分が低い女(下衆)に対しては

忌嫌い常に見下げていたようです。


清少納言の方が

紫式部よりも年上で

枕草子を世に出したのも

源氏物語よりも早かったようです。

しかし

没年は推定ですが

清少納言は1025年

紫式部は1014年

紫式部は40歳で早死しましたね。


紫式部は

清少納言の枕草子を

綺麗事のカタマリで

漢字の知識を

ひけらかしているだけと

厳しく批判をしていたようですね。

「紫式部日記」に

清少納言のことを

知ったかぶりの自慢しい!

ああいう女は
きっとろくな死に方をしない!と

堂々と悪口を書いていますが

最終的に

早死したのは紫式部の方ですよね。

元々先に喧嘩売ったのは

清少納言の方で

枕草子で

質素な格好で行くべき御嶽参りに
ド派手な格好をしてきた男がいる

と紫式部の夫を揶揄していますね。


大河ドラマをキッカケにして

紫式部に関する本を

2冊本気で読んでみましたが

性格的には

紫式部をあまり好きになれません。

しかし彼女が

今の世に生きていたら

日本女性初のノーベル文学賞受賞

という事になっていたでしょうね。


ちなみに

紫式部の娘・藤原賢子は

母親の血を引き頭脳明晰

それを活かして

後に母親同様に

彰子の

女房という立場で仕事しています。

賢子の父親は道長?ですから

最高の血筋をひいた女性ですよね。


私が

一番知りたいと思ったのは

清少納言の子供

さらに紫式部の子供

その血筋を引いた子孫が

その後どうなり

現在に至っているのかですが

この天才の血筋絶えたのでしょうか?
  


Posted by まじみっちゃん at 20:23