2024年11月03日

岸本、仁坂、竹中に勝る天才

和歌山の偉人

南方熊楠

名前は知っていても

何をした人なのかは

良く知りませんでしたので

伝記読んでみましたが

結果的にやはり

何をしたい人だったのか

よく良く判りませんでしたね。


それでも

一人でも多くの

和歌山県民に

興味持って欲しいと

思いますので

南方熊楠の生きざま

少し書いてみたいと思います。


1867年

和歌山市橋丁に生まれ

神童と言われるほど

成績優秀で

岸本周平和歌山県知事

仁坂前知事や竹中元大臣とは

比較にならないほどの

レベルだったみたいですよね。

子供の頃は

秋葉山で昆虫採集

桐蔭高校に入学し

1884年に東大に入学

夏目漱石や正岡子規と

一緒に学んでいますが

数学が嫌いで留年

中退して米国へ渡りましたね。

文献を読むため英語勉強し

米国で

学者という地位確立しました。

さらに

ニューヨークからロンドンへ

1892年

熊楠の父が病死

仕送りが止まりましたので

大英博物館で

金を稼ぐ為仕事し始めました。

「方丈記」の訳の手伝い

さらに「徒然草」

孫文に出会い

夜遅くまで語りあっています。

外国人と

意思の疎通を図りたいと

18カ国の言葉を理解し

研究に活かした様ですが

2度も暴行事件を起こし

大英博物館を辞めていますね。

暴行事件の原因

二度とも日本人の悪口ですね。


米国6年+ロンドン8年

日本に帰国

和歌山の酒「世界一統」

弟さんが成功していて

お金には困らなかった様です。

同珠院で

研究し続けていたようですが

固く禁止されていた肉を

たらふく食べて

追い出されてしまった様です。

そして熊野へ

1904年

反対運動で

警察官を投げ飛ばし逮捕

刑務所暮らしも

経験していますが

最終的には

天皇陛下が

田辺市まで出向き

南方熊楠はご進講しています。


いかがでしょうか

南方熊楠

偉人という言葉で

表現出来るような方では

ないような気がしますが

決して

真似出来ない人生ですよねぇ。
  


Posted by まじみっちゃん at 20:01