2023年12月03日

若さを保つ最高の方法はコレ

江戸時代の性に関して

知りたい事がたくさんありましたので

数冊読んでみましたが

基本的には今とそんなに変わりないですね。

要するに男は
昔からスケベ

昔々も

尻軽女がたくさんいて

今より盛んに営み頑張っていたようですね。

違うのは避妊する方法知らず

さらに衛生環境がかなり悪いことですよね。


将軍家や大名の娘は

男と接する機会はほとんどなかった様です。

外出時には

必ず複数の奉公人を
共に付けていたため

可哀想に全く自由がなかったみたいですね。

しかし庶民の娘は

現在とほとんど変わらず

恋愛を楽しんでいたようですが

今みたいに色々な遊びが
マジ普及していないため

かえって

セックスにマジ夢中になっていたようです。

排卵日と妊娠に関する知識もなく

コンドームもピルもない中で

「ナマ」で性交して

安全な中絶方法もない時代に

超大胆なことヤりまくっていたのですよね。

その分

悲劇もたくさん生まれていますが

妊娠して晴れて夫婦になれたのは

おそらく半分以下

当時は厳しい身分制度があった為

武士と庶民の婚姻は禁止

女中は手切れ金渡され

屋敷から暇を出されるのが常だった様です。

たいていは女が犠牲者

いつの世も

女性は簡単に股を開けてはダメですが

アガッちゃたら人生大いに楽しむべきです。

妊娠しない強みを歓びに変える

そうすることで若さを保てるのですからね。
  


Posted by まじみっちゃん at 19:00

2023年12月02日

オタクサをご存知でしょうか

長崎市の丸山遊郭

そこの女性に目を奪われ

一目惚れしたのが

あの有名なシーボルトですが

その女性の名前が

楠本タキ

シーボルトが来日したのは

1823年

その後間もなくそのタキと

知り合い

17歳の美人タキと結婚しました。

長崎のある歴史書には

楠本タキは

史跡料亭花月お抱えの遊女だと

書いてありましたが

遊女だけが
出島内に出入り可能なため

あえて遊女と名乗らせたと

書いてある歴史書もありますので

どちらの説が正しいか不明ですね。

直ぐに一人娘のイネが誕生

後にイネは

日本初の女医になりましたが

その墓は長崎の晧台寺にあります。

医師であり
植物学者であったシーボルトは

日本の植物に

特に興味を示しましたが

一番好きな花は

ダントツに紫陽花だったそうです。

シーボルト事件で

国外追放になりましたが

帰国後

直ぐ「日本植物誌」刊行しました。

紫陽花を

ハイドランジア・オタクサと命名

愛する妻を

オタキさんと発音出来ず

「オタクサ」と呼んでいたため

一番好きなアジサイに
「オタクサ」と名付け

アジサイは市の花になっています。

オタクサは

今はお土産品としても大人気

もちろん長崎空港で購入可能です。

朝ドラで有名になった
植物学者の牧野博士は

何故か南方熊楠に関しては

良い印象なかったみたいですが

シーボルトの日本植物誌は

かなり参考にしていたようですね。

楠本家は

現在に至るまで

代々医者

シーボルトの血が

ずっと受け継がれているのですね。
  


Posted by まじみっちゃん at 20:40

2023年12月01日

衣装に目を奪われ金注ぎ込む

江戸時代の風俗

男たちは夕刻になると

風呂屋へ行き

その2階で売春サービス受けていました。

これも江戸幕府の
取り締まり対象に

なっていましたが

売春そのものは一切禁止されていません。

売春は

必要悪だと認められていたのでしょうね。

江戸時代の風俗が
よく分かるような

性を理解するドラマ作って欲しいですね。

安土桃山時代から

九州北部と思われますが

シナ、朝鮮もですが

ポルトガルなど

西洋の者たちとの間で

女身の売買行為盛んに行われていました。

鎖国政策をとっていましたが

清国とオランダのみ

交易を許されていたため

長崎の丸山遊郭では

「日本ゆき」
「唐人ゆき」
「オランダゆき」の区別が

ほぼ毎日行われ大盛況だったみたいです。

鎖国時代

海外との窓口は

長崎の出島しかありませんので

長崎には海外から珍しいものが
多数マジ入っていたようですが

長崎の丸山遊郭の女性は

際立った衣装を身に付けていたようです。

その衣装に目を奪われ

岩崎弥太郎は

お金を使い込んでまで

ズルズルとのめり込んだのだと思います。
  


Posted by まじみっちゃん at 19:30