2014年08月06日

69年間悩み苦しんできた事

毎日新聞の記事より


1945年8月9日

我が故郷
長崎に原爆が投下されました。


これに関して死ぬ前に
証言しておきたいという思いからか

元八幡製鉄所の従業員が、毎日新聞に証言しました。


北九州には、八幡製鉄所の他に
小倉の兵器工場もありましたので

8月6日に
広島に原爆が投下された話を聞いたとき

「次はまちがいなくこっちだ」と考えていたそうです。


現に、米軍は、後の証言で
第一目標の小倉上空に、到達していたのですから

八幡製鉄所の幹部の読みは、ズバリ当たっていたわけです。


八幡製鉄所の元従業員の証言によると

上司の命令で、煙幕装置に点火し
大量の黒煙が上がったのを見届け、地下壕に避難したそうです。


B29が去った後、事務所に戻り
長崎に原爆が投下された話を聞き、全員震えが止まらなかったそうです。


辛かったでしょうね、最後に92歳の男の心の叫びを・・・

「自分たちが煙幕を炊いたために
長崎の人たちに、迷惑をかけることに、なったのじゃないか」

「ずっとそういう気持ちが、あって、とにかく辛かったから、証言した」


  


Posted by まじみっちゃん at 22:00

2014年08月06日

上辺だけの批判が多すぎます

日本に自衛隊があるだけで
抑止力になる時代は、終わりました。

ウクライナを見てて
尖閣諸島を中国が、侵略してきても

米国は、口先だけの防衛
何もしてくれないことが、はっきりわかりました。


日本は

70年以上前のように、無限に国家権力が
精神の内面に、土足で入り込んでくる時代では、ありません。


しかし、中国と北朝鮮は、残念ながら
あの当時の日本と、国の在り方は、大差ありません。

ですから安倍政権、秘密の保護、NSC、集団的自衛権なのです。


備えを万全にすることと、戦争できる国にすることは、全く違います。



  


Posted by まじみっちゃん at 12:00

2014年08月06日

戦後はまだ終わっていません

三井三池炭鉱
石炭の一大供給基地として

1950年代
その名を、知らぬものは、いない

それほどまでに有名な、炭鉱地でした。


その炭鉱で、50年以上前に
戦後最悪の事故が起き、458人死亡しました。


そして未だに多くの人が
一酸化炭素中毒で、苦しんでいます。

1963年11月9日

その炭鉱の中では
1400人以上の人が働いていました。

そのうち、800人以上の人が、後遺症に苦しみ
半数以上の人は、2、3歳程度の、知能になって・・・


国は事故から3年後
重傷者を除き、補償を打ち切りました。

会社は、14年かけて
やっと和解にこぎつけましたが

それとて31人は拒否し、今も闘争が、続いているのです。


戦後の高度成長時代
様々なことが、起きましたが

この日本国には
解決しなければならない問題が、まだまだたくさん残っています。


  


Posted by まじみっちゃん at 06:00