2014年08月15日

どうしても知って欲しい真実3

約5年間
フィリピンのモンテンルバ刑務所で

100人を超える日本人戦犯は、服役しました。


当時のアルフレドブニエ刑務所長は
刑務所に移送された日本人戦犯に対し

「運命の命ずるところ
諸君は当監獄に入れられ、非常に気の毒に思う」

「ゆえに諸君の取り扱いには、我々は最大限注意する」


この言葉の通り、刑務所長は

死刑囚を含む日本人戦犯の外出を、許可しましたが
それに報いるように、誰一人逃亡を企てなかったそうです。


日本から刑務所に取材に来た記者に

刑務所内カメラでの撮影は、本来禁止されていますが

日本人戦犯の家族の人が
安心するような良い表情の写真を撮ってあげて下さい、と

耳元でささやき、一緒に外出し散歩することを、許可したそうです。


これら全て、投げも投げたり、打ちも打ったり

まさに本物のヒューマニストと、それに見事に応える日本人戦犯

初めてこれを知った時は、驚き感動しましたが
この刑務所長も、実は父親や多くの親族を、日本人に殺されていたのです。


憎しみの連鎖を止めることが
なにより、一番大切だと、言い続けていた刑務所長

無事に帰国した元戦犯が結成した「間天会」は

その後、アルフレドブニエ元所長夫妻を
何度も日本に招待し、日本各都市を案内し、親交を深めていったそうです。



次回ラストに続きます


  


Posted by まじみっちゃん at 22:00

2014年08月15日

どうしても知って欲しい真実2

渡辺はま子が歌う
「モンテンルバの夜は更けて」

その歌詞を

キリノ大統領が聴いたのは
どうやら間違いないようですが

琴線に触れたのかどうかは、わかりません。


しかし奇跡は起きたのです。


キリノ大統領は、苦渋の決断し
先ずは、刑の軽い日本人戦犯を、徐々に釈放しました。


1953年には死刑囚56人を、終身刑に
その年の12月末、ついに終身刑の戦犯も、全員釈放しました。


恩赦令をだしたキリノ大統領
私たち日本人が、絶対に忘れてはいけない名前です。


結局、処刑された17人の仲間の遺骨と共に
108人の日本人戦犯は、日本への帰国を許されたのです。

フィリピンでBC級戦犯裁判にかけられた
旧日本軍将兵108人を乗せた「白山丸」が

横浜港に到着した時
人々は、「モンテンルバの夜は更けて」の歌を口ずさんでいたそうです。



続きます


  


Posted by まじみっちゃん at 20:00

2014年08月15日

どうしても知って欲しい真実1

日本人戦犯に対する裁判は

東京裁判だけだと
誤解している日本人が、多いような気がします。


それは、明らかに誤りです。


1947年8月

米軍から引き継いだフィリピン政府の
日本人BC級戦犯裁判が、フィリピンで始まり

1~2年後
151人の被告に対し死刑79人

有罪判決は、137人に及ぶ厳しい結果となりました。


1951年1月

フィリピン「モンテンルバ刑務所」に
服役していた14人が絞首刑に、なりました。

それを機に
日本からの助命嘆願が、ますます激しくなりましたが

当時のフィリピンのキリノ大統領は
妻子4人を、日本兵に、殺害されましたので

日本のメディアは、助命嘆願は絶望的だと、報道していたようです。


日本では、渡辺はま子が歌う
「モンテンルバの夜は更けて」の歌が大流行し

多くの日本人は
フィリピンで戦犯として服役してる日本人に、思いをはせていました。


そして、「モンテンルバの夜は更けて」の歌声は
妻子4人を日本人に殺害されたキリノ大統領にも、送り届けられました。


続きます





  


Posted by まじみっちゃん at 18:00

2014年08月15日

母親との少し不愉快な思い出

私が幼い頃

母親と一緒に街を歩いていると
よく見かけたのが、「モノ貰いの人」

片手がない、片足がない
みすぼらしい格好をして

悲しそうな顔して、「お恵み下さい」


私が、その人たちに近づくと

決まって母親は
私をその人たちから、引き離そうとしました。


母親の態度は、明らかに差別
あの人たちは、奇異な目で見られお金も貰えず・・・


あの人たちは、本物の傷病兵だったのでしょうか?


もしそうならば
母親の態度は、今更ながら、許せないというか

その思いからでは、ないのですが
傷痍軍人の皆さんの、大変なご苦労を

大学入学後、友人と東京へ行き、真剣に学んでみました。


昭和27年、私が生まれた次の年ですね
遅ればせながら、日本傷痍軍人会が結成されました。

東京、九段下に会館があるそうですが
残念ながら、いや恥ずかしながら、まだ行っていません。


その当時、35万人だったのに
今では、5千人にまで減り、平均年齢92歳になり

遂にその役目を終え、誇り高き解散の運びと、なったようです。


戦後、治療費すら自腹で支払い

傷を負った身体で
必死で生き続けてこられた皆さんに

日本国が豊かになった時でも、何も報いなかったこと
その事実を、果たしてどれだけの日本人が知っているのでしょうか?


  


Posted by まじみっちゃん at 12:00

2014年08月15日

やったね和歌山県が全国唯一

毎日新聞8月12日の夕刊

その一面に
「和歌山県 独自制度で監視」

読んでて
県民として嬉しく、鼻高々になりました。


危険ドラッグの規制方法を巡り
和歌山県が打ち出した制度が、注目を集めています。


脱法ハーブを
「知事監視製品」に指定して

購入者に
「みだりに吸引しない」との誓約書を書かす制度ですが

結果この制度により
県内に2店あった専門店が、今年4月までに撤退したそうです。


「和歌山への発送不可」と表示する
ネット販売業者も、現れてきたようですので、抑止効果絶大ですね。


和歌山県が施行した「薬物濫用防止条例」

これが、和歌山モデルとして
日本中に席巻する日が、もうそこまできている、本当に嬉しいですね。


  


Posted by まじみっちゃん at 06:00